『戦後』に結ばれた夫婦 70年以上の歩み プラチナ婚を祝う会で
近代日本の社会構造は、戦後的大変革によって大きく変わった。結婚もその流れの中で変化した。この「いい夫婦の日」という11月22日に夫婦50周年の金婚、60周年のダイヤモンド婚を迎えた夫婦、そして70週年のプラチナ婚を祝う会が各地で開かれている。ただし、このような夫婦は非常に少ない。
愛知県東海市の小島公夫(93)と冨久子(93)の夫婦は1953年に結婚し、朝鮮戦争後にNHKがテレビの本放送を始めたばかりだった。公夫さんは「給料が安く、田畑の仕事もあったので冨久子さんに難儀させた」と振り返った。
伊勢湾台風で家が浸水し、4カ月避難したこともあるということは、家庭生活にも困難がありそうだが、結婚70周年を迎えたことから、夫婦は頑張ってきたことがわかる。冨久子さんは「人間だから、ちったあ(夫に)怒ることもあったがいちいち気にしていなかった」と話した。
東海市の湯浅利彦さん(95)と雪子(93)の夫婦も1955年に結婚し、当時は自民党が結党された年だった。利彦さんは「不安でねえ。九州とは言葉も風習も違うし」って話していたが、同僚を家へ招いて料理でもてなしたのはいい思い出だという。
今度の祝う会では、夫婦は7人の子ども、孫8人、ひ孫8人に祝福された。冨久子さんは「もうそんなに経ってしまったかって……。これからも(夫に)ついていくだけです」などと話した。
東海市の湯浅さんと冨久子は、このような夫婦は少ないものの、多様な生活史を持ち合わせている。プラチナ婚が増えていることは、結婚することがより大切であるという世代の変化かもしれない。
近代日本の社会構造は、戦後的大変革によって大きく変わった。結婚もその流れの中で変化した。この「いい夫婦の日」という11月22日に夫婦50周年の金婚、60周年のダイヤモンド婚を迎えた夫婦、そして70週年のプラチナ婚を祝う会が各地で開かれている。ただし、このような夫婦は非常に少ない。
愛知県東海市の小島公夫(93)と冨久子(93)の夫婦は1953年に結婚し、朝鮮戦争後にNHKがテレビの本放送を始めたばかりだった。公夫さんは「給料が安く、田畑の仕事もあったので冨久子さんに難儀させた」と振り返った。
伊勢湾台風で家が浸水し、4カ月避難したこともあるということは、家庭生活にも困難がありそうだが、結婚70周年を迎えたことから、夫婦は頑張ってきたことがわかる。冨久子さんは「人間だから、ちったあ(夫に)怒ることもあったがいちいち気にしていなかった」と話した。
東海市の湯浅利彦さん(95)と雪子(93)の夫婦も1955年に結婚し、当時は自民党が結党された年だった。利彦さんは「不安でねえ。九州とは言葉も風習も違うし」って話していたが、同僚を家へ招いて料理でもてなしたのはいい思い出だという。
今度の祝う会では、夫婦は7人の子ども、孫8人、ひ孫8人に祝福された。冨久子さんは「もうそんなに経ってしまったかって……。これからも(夫に)ついていくだけです」などと話した。
東海市の湯浅さんと冨久子は、このような夫婦は少ないものの、多様な生活史を持ち合わせている。プラチナ婚が増えていることは、結婚することがより大切であるという世代の変化かもしれない。