大津市平野2で11月4日、菜の花漬の製造に参加した児童たちが手伝うことができた。このような体験は、大津市内の名物である菜の花漬の復活を目指す「サラメシ」番組で知られるようになった。
大津市東部の上田上地区では、米作りの裏作として種から油が採れる菜の花が栽培され、この花や葉の一部を冬の保存食として漬物にしたのが始まりだという。半年間ほどたるの中で発酵させる黄金漬がこの地域の名物となる。
家庭では細々と作られるだけになっていた約40年前、地域の先輩から「復活させないか」と声をかけられ菜の花漬作りに関わってきたのが同地区で生まれ育った寺元孝子さん(81)だった。やがて自治体の補助を受ける地域の重点事業に。この十数年は「農工房ひらの」として、JAなどで販売し、小規模校ならではの濃密な体験を児童たちに教えた。
しかし、このメンバーは平均年齢78歳の女性4人に、たるの重しなどを動かす作業はきつくという。2024年末で農工房ひらのは活動を終えることになった。その後、反響が大きく、「残念」という声が瞬く間に広がった。
深田麗奈さん(49)は同小PTA会長だった。子供2人は4年の時、菜の花漬をつくった。同小は現在、小規模校ならではの濃密な体験を守りたいという考えから「菜の花会」を設立した。児童が菜の花を種まきし、作物を収穫する体験をした。
24年9月に、3年生児童が同小隣接の畑に種まきした菜の花は虫食いに見舞われたが、同学区自治連合会長の配慮で他の畑で育った菜の花を漬物用に充てることに。花摘みは今年4月。農工房では多い時は1トン分を摘んでいたが、今回は児童体験用だけの30キロに。
11月、たるから漬物を取り出し、袋詰めするため、加工場には前年に種まきを体験した4年生児童13人と先生、菜の花会の6人、農工房の旧メンバー4人が集まった。寺元さんらが、たるから大きなたらいに漬物を移した後、児童たちは赤い唐辛子を外して全体を軽くもむ作業に。発酵特有のにおいがふんわりと漂った。
「今は酸味が強く出ているけど、いい味になった」と寺元さんが手でグッドマークをつけた。完成した126袋はすべて児童らが持ち帰った。大津市下村幸子校長は「家族以外の大人と触れ合う機会が多いことは貴重で、さらに、食を通じて児童の家族にも学校の特色を感じてもらえる」と感謝を込める。
このように「子供のために」地域の皆様の愛に助けられており、「五感に働きかける教育は人がサポートしないと難しい」と寺元さんは強く語った。
大津市東部の上田上地区では、米作りの裏作として種から油が採れる菜の花が栽培され、この花や葉の一部を冬の保存食として漬物にしたのが始まりだという。半年間ほどたるの中で発酵させる黄金漬がこの地域の名物となる。
家庭では細々と作られるだけになっていた約40年前、地域の先輩から「復活させないか」と声をかけられ菜の花漬作りに関わってきたのが同地区で生まれ育った寺元孝子さん(81)だった。やがて自治体の補助を受ける地域の重点事業に。この十数年は「農工房ひらの」として、JAなどで販売し、小規模校ならではの濃密な体験を児童たちに教えた。
しかし、このメンバーは平均年齢78歳の女性4人に、たるの重しなどを動かす作業はきつくという。2024年末で農工房ひらのは活動を終えることになった。その後、反響が大きく、「残念」という声が瞬く間に広がった。
深田麗奈さん(49)は同小PTA会長だった。子供2人は4年の時、菜の花漬をつくった。同小は現在、小規模校ならではの濃密な体験を守りたいという考えから「菜の花会」を設立した。児童が菜の花を種まきし、作物を収穫する体験をした。
24年9月に、3年生児童が同小隣接の畑に種まきした菜の花は虫食いに見舞われたが、同学区自治連合会長の配慮で他の畑で育った菜の花を漬物用に充てることに。花摘みは今年4月。農工房では多い時は1トン分を摘んでいたが、今回は児童体験用だけの30キロに。
11月、たるから漬物を取り出し、袋詰めするため、加工場には前年に種まきを体験した4年生児童13人と先生、菜の花会の6人、農工房の旧メンバー4人が集まった。寺元さんらが、たるから大きなたらいに漬物を移した後、児童たちは赤い唐辛子を外して全体を軽くもむ作業に。発酵特有のにおいがふんわりと漂った。
「今は酸味が強く出ているけど、いい味になった」と寺元さんが手でグッドマークをつけた。完成した126袋はすべて児童らが持ち帰った。大津市下村幸子校長は「家族以外の大人と触れ合う機会が多いことは貴重で、さらに、食を通じて児童の家族にも学校の特色を感じてもらえる」と感謝を込める。
このように「子供のために」地域の皆様の愛に助けられており、「五感に働きかける教育は人がサポートしないと難しい」と寺元さんは強く語った。