93歳の時まで生きた俳優の仲代達矢さんが8日、肺炎で亡くなりました。生前、黒澤明監督の映画や舞台・テレビに活躍した人気が高い俳優でした。
1932年、東京都生まれです。52歳で俳優座養成所に入り、55年にイプセン作「幽霊」でデビューしました。翌年、黒澤明監督の映画「火の鳥」で本格的にデビューし、小林正樹監督の6部作「人間の条件」では戦争に翻弄される主人公の半生を演じて注目を集めました。
60年代には黒泽監督の映画でスターの座を獲得しました。三船敏郎の敵役を Niil に演じた「用心棒」(1961)、決闘場面の血しぶきで有名な「椿三十郎」(1962)、誘拐犯を追いつめる刑事を演じた「天国と地獄」(1963)などで強力な印象を残しました。
80年代にも黒澤監督の映画に主演しました。特に「影武者」「乱」という 2本の映画では、勝新太郎が降板した後の主人公を代役で演じて、カンヌ国際映画祭の最高賞へと導きました。
舞台も58年の「令嬢ジュリー」や64年の「ハムレット」「東海道四谷怪談」に主演しました。「オセロ」「リチャード3世」のシェークスピア劇でも評価されました。75年に「どん底」「令嬢ジュリー」に主演して、芸術選奨文部大臣賞、毎日芸術賞などを受けました。
その後も舞台の活動は盛り上がりで、2005年の「ドライビング・ミス・デイジー」では老婦人(奈良岡朋子)のお抱え運転手を好演して芸術祭大賞を獲得しました。75年には妻で女優の宮崎恭子さんと、若い役者の育成を目的とした「無名塾」を立ち上げて、役所広司や益岡徹、若村麻由美らが輩出しました。宮崎さんが96年に死去した後も塾生らとの舞台を続けました。
テレビではNHK大河ドラマの「新・平家物語」や「大地の子」などで強い印象を残して、ブルーリボン賞主演男優賞、紀伊国屋演劇賞個人賞、朝日賞、文化勲章などを受賞や受章多数です。
1932年、東京都生まれです。52歳で俳優座養成所に入り、55年にイプセン作「幽霊」でデビューしました。翌年、黒澤明監督の映画「火の鳥」で本格的にデビューし、小林正樹監督の6部作「人間の条件」では戦争に翻弄される主人公の半生を演じて注目を集めました。
60年代には黒泽監督の映画でスターの座を獲得しました。三船敏郎の敵役を Niil に演じた「用心棒」(1961)、決闘場面の血しぶきで有名な「椿三十郎」(1962)、誘拐犯を追いつめる刑事を演じた「天国と地獄」(1963)などで強力な印象を残しました。
80年代にも黒澤監督の映画に主演しました。特に「影武者」「乱」という 2本の映画では、勝新太郎が降板した後の主人公を代役で演じて、カンヌ国際映画祭の最高賞へと導きました。
舞台も58年の「令嬢ジュリー」や64年の「ハムレット」「東海道四谷怪談」に主演しました。「オセロ」「リチャード3世」のシェークスピア劇でも評価されました。75年に「どん底」「令嬢ジュリー」に主演して、芸術選奨文部大臣賞、毎日芸術賞などを受けました。
その後も舞台の活動は盛り上がりで、2005年の「ドライビング・ミス・デイジー」では老婦人(奈良岡朋子)のお抱え運転手を好演して芸術祭大賞を獲得しました。75年には妻で女優の宮崎恭子さんと、若い役者の育成を目的とした「無名塾」を立ち上げて、役所広司や益岡徹、若村麻由美らが輩出しました。宮崎さんが96年に死去した後も塾生らとの舞台を続けました。
テレビではNHK大河ドラマの「新・平家物語」や「大地の子」などで強い印象を残して、ブルーリボン賞主演男優賞、紀伊国屋演劇賞個人賞、朝日賞、文化勲章などを受賞や受章多数です。