野崎島の「王位石」に現れる巨石 世界文化遺産を回るツアーで調べたもの
小値賀島から野崎島へ
旅は、福江港からフェリーで小値賀島に渡って始まる。小値賀町は漁師町として知られていたが、現在の人口は2,100人ほどで、ピーク時には1万人以上の人々が暮らしていたという。
小値賀町の伝統的古民家をリノベーションしたカフェ「KONNE Lunch & Café」で食事をとります。刺身定食は魚と野菜を使用し、食べたのは驚くほどの味だった。チキン南蛮やピザといったメニューも人気がありました。
小値賀島から野崎島へ
町営の船に乗って小値賀島へ旅立ちます。沖ノ神嶋神社の氏子が暮らす野崎集落が形成されていたので、巨石「王位石」を見つけることができます。この「聖地」には外海から潜伏キリシタンたちが入植し、氏子を装って集落を形成したということです。彼らの大胆さと行動力に驚かされるばかりです。
野崎島ビジターセンターで入島の際の注意点や島の歴史などをガイドの方から教えてもらいます。ついに、かつての野崎集落があった場所へと向かいます。建物は廃材の山となり、周囲に転がる空き瓶だけが輝きを放っています。
野崎集落を抜けると、大地広がっている「サバンナ」が目に入ります。樹木は硬い岩盤で出来たもので、幹は細く根は深く張っているため、高所では強風が吹きすさぶ。一度見れば、その迫力と神秘の佇まいに、野崎島が「聖地」と呼ばれる所以がわかるだろう。
禁教の世が明けると、舟森や野首の集落の住人はそれぞれに教会をつくったという。舟森集落にあった教会は他所に移築されたが、今も、誰もいない集落で海の方向を眺めながらポツリと佇む、あまりにも美しいビーチや夕景を眺めることができる。
小値賀島に戻って、夕食は「古民家レストラン敬承藤松」へ行きます。元々は捕鯨・酒造りで財を成した藤松氏の居宅だったところで改修して和食店へと蘇らせている。「小値賀は自然豊かな島だから食材も極力手を加えません」と料理長の遠山善徳さん。
宿泊はツアーに含まないので、旅館「島宿御縁」へ入ることができます。清潔感のある部屋とふかふかの布団で旅の疲れをゆっくりと癒すことができる。この宿には様々な客室が用意されており、旅館タイプやドミトリータイプ、一棟貸タイプなどがあります。
小値賀島から野崎島へ
旅は、福江港からフェリーで小値賀島に渡って始まる。小値賀町は漁師町として知られていたが、現在の人口は2,100人ほどで、ピーク時には1万人以上の人々が暮らしていたという。
小値賀町の伝統的古民家をリノベーションしたカフェ「KONNE Lunch & Café」で食事をとります。刺身定食は魚と野菜を使用し、食べたのは驚くほどの味だった。チキン南蛮やピザといったメニューも人気がありました。
小値賀島から野崎島へ
町営の船に乗って小値賀島へ旅立ちます。沖ノ神嶋神社の氏子が暮らす野崎集落が形成されていたので、巨石「王位石」を見つけることができます。この「聖地」には外海から潜伏キリシタンたちが入植し、氏子を装って集落を形成したということです。彼らの大胆さと行動力に驚かされるばかりです。
野崎島ビジターセンターで入島の際の注意点や島の歴史などをガイドの方から教えてもらいます。ついに、かつての野崎集落があった場所へと向かいます。建物は廃材の山となり、周囲に転がる空き瓶だけが輝きを放っています。
野崎集落を抜けると、大地広がっている「サバンナ」が目に入ります。樹木は硬い岩盤で出来たもので、幹は細く根は深く張っているため、高所では強風が吹きすさぶ。一度見れば、その迫力と神秘の佇まいに、野崎島が「聖地」と呼ばれる所以がわかるだろう。
禁教の世が明けると、舟森や野首の集落の住人はそれぞれに教会をつくったという。舟森集落にあった教会は他所に移築されたが、今も、誰もいない集落で海の方向を眺めながらポツリと佇む、あまりにも美しいビーチや夕景を眺めることができる。
小値賀島に戻って、夕食は「古民家レストラン敬承藤松」へ行きます。元々は捕鯨・酒造りで財を成した藤松氏の居宅だったところで改修して和食店へと蘇らせている。「小値賀は自然豊かな島だから食材も極力手を加えません」と料理長の遠山善徳さん。
宿泊はツアーに含まないので、旅館「島宿御縁」へ入ることができます。清潔感のある部屋とふかふかの布団で旅の疲れをゆっくりと癒すことができる。この宿には様々な客室が用意されており、旅館タイプやドミトリータイプ、一棟貸タイプなどがあります。