宮城県南三陸町長の佐藤仁町長が退任した。東日本大震災で防災対策庁舎の屋上を津波にのみ込まれながらも助けられており、その後復興に尽力してきた彼は、23年以上行政を引きっ張った。
午後3時すぎ、町役場の1階には100人を超える職員や町民が退任式に集まっていた。佐藤町長は「復興を成し遂げたのは職員のみなさん」と言い表現を変えながら、献身的な取り組みが大きな要因だったことを強調した。その後花束を受け取って涙を浮かべながら、職員一人ひとりと握手して退庁した。
町民の女性は「町の合併に、大震災、コロナとずっと大変だったと思う。少しゆっくりしてもらいたい」とねぎらった。
佐藤町長は前日の最後の記者会見で「使命感」が復興を成し遂げた理由だと語った。防災庁舎の屋上でずぶぬれのまま過ごした晩に、一緒に助かった職員たちと「再建しなきゃならないな」と話したことが原点にあったことを振り返り、14年以上にわたって使命感が揺らぎなかったと述べた。
町民は「(復興事業が終わるまで)12年かけてしまったが、頑張って耐え忍んでくれた」と感謝した。
今後については、自らの経験を防災・減災のために伝承することを「第二の使命」とし、「いち町民として町の応援団の一人として頑張っていきたい」と力を込めた。
午後3時すぎ、町役場の1階には100人を超える職員や町民が退任式に集まっていた。佐藤町長は「復興を成し遂げたのは職員のみなさん」と言い表現を変えながら、献身的な取り組みが大きな要因だったことを強調した。その後花束を受け取って涙を浮かべながら、職員一人ひとりと握手して退庁した。
町民の女性は「町の合併に、大震災、コロナとずっと大変だったと思う。少しゆっくりしてもらいたい」とねぎらった。
佐藤町長は前日の最後の記者会見で「使命感」が復興を成し遂げた理由だと語った。防災庁舎の屋上でずぶぬれのまま過ごした晩に、一緒に助かった職員たちと「再建しなきゃならないな」と話したことが原点にあったことを振り返り、14年以上にわたって使命感が揺らぎなかったと述べた。
町民は「(復興事業が終わるまで)12年かけてしまったが、頑張って耐え忍んでくれた」と感謝した。
今後については、自らの経験を防災・減災のために伝承することを「第二の使命」とし、「いち町民として町の応援団の一人として頑張っていきたい」と力を込めた。