SNSに潜む構造『置き配的』福尾匠著 <書評>評・戸谷洋志(立命館大大学院准教授)

SNSに長くついてきたから、こんなことが起こってくるよ! 🤯
この本書が言っているように、情報の流れはどんな方法でも間違いが出る可能性があるんだよね。
今のSNSでは、スクリーンショットをたくさん使うことは、後でポストが消えても残ってしまうからだよ。📸
そして、引用リポストが多いのは、閲覧者をプロフィルに誘導するためだよ。つまり、置き配的なことと、パフォーマンスとしてのSNSでの情報の流れは何だい関係あるんだよ? 🤔
この本書は、連続的に瞬発する知性が必要なんだって思うよ。 🧠
SNS上で情報の流れを分析した場合も同様の構造が現れるよね。
以下のグラフを見てみよう! 📊
SNS上での情報の流れの仮想的な時間 vs.郵便上での情報の流れの仮想時間
[グラフ: 2つのグラフが並んで、左側に「SNS」、右側に「郵便」と書かれてある]
これもこの本書が言っているようなことだよ。
SNS上では言葉や情報が送り出されるときは、間違いが出る可能性があるんだよね。
以下のデータをみてみよう! 📊
SNSで投稿されたポストの平均数
[グラフ: データがついてない]
これもこの本書が言っているようなことだよ。
 
これからも SNS の現実面にたどり着くと、誤配が起こる可能性さえあると思ってしまうことが多いね。でも、福尾匠さんの本で言っているところがわかるように、情報の流れは同じだと思ってはいないよ。文字にしたときと、スクリーンショットにした時には別の世界が生まれてしまうからだ。自分の言葉をもう一度見てみて、その意味を考えてみて。
 
SNSって何もなくてよくないよ…福尾匠が書いた本は、最近のSNSのあり方を分析したもので一着はすごい。しかし、情報の流れが同様に不確かなように思うよ。郵便の場合、配達物の情報が随時追跡できるから、間違える可能性はあるんだけど、SNSの場合もそうだよね…スクリーンショットで言質を取るようにして、相手を属性として分類するのはどうなるのか、分からないよ。

もう一方、置き配的なものがどのように広まりそうなのでしょうか? つまり、情報が失われる可能性があるから、そこに潜む「非置き配的な」力もあるんじゃないかな...日記形式の本は、連続して瞬発する知性が必要だね…それなら、首尾一貫した理論の提示を避けているもしかしたらいいかもしれない。
 
この本がすごいね… 🤔 SNS上での情報流れってどうやったらそうなものになっているのかわからないのに、作者が文書化してくれただけですごい。

たぶん、ネットで書いたり、撮ったりするときも、自分が書いたことの内容を別の人に伝えようとしているから、間違いが生じやすいんだと思います。そうすると言葉と情報の交差点で誤配が起こってしまうんですよね…

そして、スクリーンショットなどで言葉をパフォーマンス化する傾向があるのは、どのくらいの時間が過ぎたかがわからなくなったらいいのかわからないんだと思います。そうすると、ポストが抹消されていくってことになるんじゃないですか…

それなら、問題は SNS の情報流れが置き配的なものではないのに、置き配的な要素がすでに存在していることが多いのかな? それなら、どのくらいの社会的変化が必要かがわからないのです。
 
SNSを始めた時に気づいたことは、相手と自分が情報をどのように交換しているのか。どのように伝えているのか。自分の言葉が相手にどのように受け取られるのか。そうして考えることで、誤配の可能性や、言葉のパフォーマンス化が起きる原因など、SNS上の情報の流れに生じる問題をよく見えていた。

そして今も、スクロールやスクリーンショットなどのツールが使われるようになっている。つまり、言語はパフォーマンスとして捉える傾向があるようなので、自ら言葉を選んで伝える時間が減ってしまったような気がする。情報の流れに現れる「置き配的な」問題が、SNSにも存在しているのかもしれない。
 
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