嵐山光三郎さんが死去。83歳で肺炎のため。
嵐山さんは「文人悪食」や「素人庖丁記」、「芭蕉の誘惑」などのエッセーを発表し、評伝名手として知られています。
1942年静岡県浜松市生まれ。国学院大学文学部国文学科卒業後平凡社に入社して「太陽」の編集長となり、81年に退社し作家活動に参入しました。そしてフジテレビの「笑っていいとも!増刊号」にも出演しています。
嵐山さんは88年に講談社エッセイ賞を受賞した「素人庖丁記」と「文人悪食」(1997年)、「追悼の達人」(1999年)などのエッセーを発表しました。「週刊朝日」の連載エッセー「コンセント抜いたか」は1300回近く続いていました。
嵐山さんは俳人松尾芭蕉の足跡をたどった「芭蕉の誘惑」を2000年にJTB紀行文学大賞で受賞した。次に、2006年に泉鏡花文学賞、「悪党芭蕉」で受賞し、2007年には読売文学賞評論・伝記賞も受賞しました。
嵐山さんは14日、肺炎のため死去しました。83歳でした。葬儀は近親者のみで執り行われました。
嵐山さんは「文人悪食」や「素人庖丁記」、「芭蕉の誘惑」などのエッセーを発表し、評伝名手として知られています。
1942年静岡県浜松市生まれ。国学院大学文学部国文学科卒業後平凡社に入社して「太陽」の編集長となり、81年に退社し作家活動に参入しました。そしてフジテレビの「笑っていいとも!増刊号」にも出演しています。
嵐山さんは88年に講談社エッセイ賞を受賞した「素人庖丁記」と「文人悪食」(1997年)、「追悼の達人」(1999年)などのエッセーを発表しました。「週刊朝日」の連載エッセー「コンセント抜いたか」は1300回近く続いていました。
嵐山さんは俳人松尾芭蕉の足跡をたどった「芭蕉の誘惑」を2000年にJTB紀行文学大賞で受賞した。次に、2006年に泉鏡花文学賞、「悪党芭蕉」で受賞し、2007年には読売文学賞評論・伝記賞も受賞しました。
嵐山さんは14日、肺炎のため死去しました。83歳でした。葬儀は近親者のみで執り行われました。