葉真中顕著の「家族」は、不気味さが持つ引力となっています。この本は、尼崎連続変死事件をモチーフに執筆されており、疑似家族を作り出すことで結果的に13人の変死事件に関わった夜戸瑠璃子と彼女が築いた「家族」の全容に迫ろうとする物語です。
この本の構成は複雑で、一筋縄ではいかないものであり、目ひくのは、事件の解明を拒むかのように時系列を無視して頻繁に挿入されることです。この不気味な手応えが続きを読むように誘う、底なし沼をのぞき込んでいるような感覚があります。しかし、この本は決して無関係ではいられません。作中で描かれる凄惨な事件に不快感を示すひとは多くいるはずだ。あるいは逆に、周囲の人々に食事を振る舞う面倒見のいい瑠璃子の言葉や態度に、一瞬気を緩めるひともいるかもしれない。
しかし、この本は凄惨でありながらひと事では読めない、「いま」にも通ずる物語だ。なぜなら、読者である私たちも決して無関係ではいられないからである。この本の「家族」に巻き込まれている。底なし沼に片足を突っ込んでいるかもしれない。
この本が描く「家族」は、根源をたどると同じところにあるという二つの感情が反対しているものです。一方は物語を読み、登場人物の内面を知った、その手応えによってうまれる感情で、もう一方は不快感とともに反感を抱くことができるでしょう。両方とも同じところにたどり着く根源があるこの二つの感情は、本が描いた物語そのものです。
本作の「家族」は不気味なのに引き返せず、いつのまにかすさまじいものを目の当たりにする…それは瑠璃子の「家族」がつくる、引力にも似る。
				
			この本の構成は複雑で、一筋縄ではいかないものであり、目ひくのは、事件の解明を拒むかのように時系列を無視して頻繁に挿入されることです。この不気味な手応えが続きを読むように誘う、底なし沼をのぞき込んでいるような感覚があります。しかし、この本は決して無関係ではいられません。作中で描かれる凄惨な事件に不快感を示すひとは多くいるはずだ。あるいは逆に、周囲の人々に食事を振る舞う面倒見のいい瑠璃子の言葉や態度に、一瞬気を緩めるひともいるかもしれない。
しかし、この本は凄惨でありながらひと事では読めない、「いま」にも通ずる物語だ。なぜなら、読者である私たちも決して無関係ではいられないからである。この本の「家族」に巻き込まれている。底なし沼に片足を突っ込んでいるかもしれない。
この本が描く「家族」は、根源をたどると同じところにあるという二つの感情が反対しているものです。一方は物語を読み、登場人物の内面を知った、その手応えによってうまれる感情で、もう一方は不快感とともに反感を抱くことができるでしょう。両方とも同じところにたどり着く根源があるこの二つの感情は、本が描いた物語そのものです。
本作の「家族」は不気味なのに引き返せず、いつのまにかすさまじいものを目の当たりにする…それは瑠璃子の「家族」がつくる、引力にも似る。