野崎島で潜伏キリシタンの足跡を探す
小値賀からフェリーで渡った後、旅の始まり。小値賀町は漁師町で、長い年月を過ぎて今では2,100人程度が住みます。
昼食は、伝統的古民家を改修して「KONNE Lunch & Café(※1)」で食べました。刺身の他にもおかずがたっぷりありました。また、カフェメニューも人気があります。
野崎島へ渡ると、「王位石(おえいし)」が目に入ってしまいます。この巨石は、外海から潜伏キリシタンの集団が入植し、氏子を装いながら野首、舟森の集落を形成したという歴史を知ることができます。ガイドの方に注意点や島の歴史などを教えてもらい、かつて野崎集落があった場所へと向かっています。
現在は廃棄物の山になり、残っているのは廃棄された建物だけです。その中にも建物が建っておらず、蔦が覆った建物だけです。かつて野崎島全体で650人ほどが暮らしていると言われていますが、高度経済成長期の集団移住などで人口は減り、2001年に最後の住民が島を離れたことがわかります。
野崎集落を抜けると、通称「サバンナ」と呼ばれる荒涼とした大地が広がっています。この島の樹木は、深く根を張れず、幹は細いです。驚くほどの急斜面に残る段々畑や集落の跡が目に入ります。
禁教の世が明けると、舟森、野首の集落の住人はそれぞれに教会をつくったという史実を知ることができます。舟森集落にあった教会は他所に移築されましたが、旧野首教会(令和6年12月訪問時点では、改修中のため、見学不可)は今も、誰もいない集落で海の方向を眺めながらポツリと佇む。美しいビーチや夕景を眺めながら島を後にし、小値賀島へ戻る。
夕食は「古民家レストラン敬承藤松(※2)」へ。元々は捕鯨・酒造りで財を成した藤松氏の居宅だったところで、改修して和食店へと蘇らせています。「小値賀は自然豊かな島だから食材も極力手を加えません。できるだけ自然に近い形で提供します」と料理長の遠山善徳さんです。
「島宿 御縁(※3)」では、旅館タイプ・ドミトリータイプ・一棟貸タイプなど様々な客室があります。宿泊はツアーの料金には含まれないので、休憩の場として利用できます。
小値賀からフェリーで渡った後、旅の始まり。小値賀町は漁師町で、長い年月を過ぎて今では2,100人程度が住みます。
昼食は、伝統的古民家を改修して「KONNE Lunch & Café(※1)」で食べました。刺身の他にもおかずがたっぷりありました。また、カフェメニューも人気があります。
野崎島へ渡ると、「王位石(おえいし)」が目に入ってしまいます。この巨石は、外海から潜伏キリシタンの集団が入植し、氏子を装いながら野首、舟森の集落を形成したという歴史を知ることができます。ガイドの方に注意点や島の歴史などを教えてもらい、かつて野崎集落があった場所へと向かっています。
現在は廃棄物の山になり、残っているのは廃棄された建物だけです。その中にも建物が建っておらず、蔦が覆った建物だけです。かつて野崎島全体で650人ほどが暮らしていると言われていますが、高度経済成長期の集団移住などで人口は減り、2001年に最後の住民が島を離れたことがわかります。
野崎集落を抜けると、通称「サバンナ」と呼ばれる荒涼とした大地が広がっています。この島の樹木は、深く根を張れず、幹は細いです。驚くほどの急斜面に残る段々畑や集落の跡が目に入ります。
禁教の世が明けると、舟森、野首の集落の住人はそれぞれに教会をつくったという史実を知ることができます。舟森集落にあった教会は他所に移築されましたが、旧野首教会(令和6年12月訪問時点では、改修中のため、見学不可)は今も、誰もいない集落で海の方向を眺めながらポツリと佇む。美しいビーチや夕景を眺めながら島を後にし、小値賀島へ戻る。
夕食は「古民家レストラン敬承藤松(※2)」へ。元々は捕鯨・酒造りで財を成した藤松氏の居宅だったところで、改修して和食店へと蘇らせています。「小値賀は自然豊かな島だから食材も極力手を加えません。できるだけ自然に近い形で提供します」と料理長の遠山善徳さんです。
「島宿 御縁(※3)」では、旅館タイプ・ドミトリータイプ・一棟貸タイプなど様々な客室があります。宿泊はツアーの料金には含まれないので、休憩の場として利用できます。