五島列島キリシタン物語【後編】 地元新聞社が発行している生活情報誌ライターの旅日記をお届け。
ポイントは3つ。①世界遺産の集落・教会を巡る②個人では考えられない料金&コース設定。➂地元を熟知した観光ガイドがご案内。九州の最西端の島々を巡る旅行プランである。
2018年、世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」。「五島列島キリシタン物語」は、この世界文化遺産の12の構成資産のうち4つの集落を巡るツアーだ。このツアーに参加した前編では、禁教の時代、様々な工夫と営みの中で信仰を守り抜いた上五島の潜伏キリシタンの集落や、小値賀諸島に残る独特な景観の面白さを紹介した。後編では下五島を回り、彼らの信仰心の一端に触れたい。
最終日は上五島の中ノ浦教会、桐教会からスタートし、下五島へと渡るスケジュール。
桐教会は入り江を見下ろす高台に位置する、美しい白亜の教会だ。かつてこの地に住んでいたガスパル与作が治療のために長崎を訪れた際、大浦天主堂でプチジャン神父と会い、五島のキリシタンたちをカトリック復活へと導いたとされている。
深浦港で車から海上タクシーに乗り換え、キリシタン洞窟へ向かう。海上タクシーの道中ではリアス式海岸の厳しい岩場が続いていた。「この辺りにも潜伏キリシタンの集落があったんですよ。ほら、ここもそう」ガイドの方が指差す先もまた、ゴツゴツした岩の多い入り江で、こんなところに生活空間が築けるとはとても想像できなかった。
海上タクシーの中でかくれキリシタンと出会う。海上タクシー「祥福丸」が奈留港(五島市)まで行く途中で、船頭の坂井好弘さんが不意に「私は370年間信仰を守るかくれキリシタンの大将(神父)なのです」と話し出して仰天した。なんでも、桐古里地区に今も40人ほどいる信者たちの9代目の大将で、クリスマスや復活祭など儀式がある時には自宅に信者を招き、皆で祈りを捧げるのだとか。その時に振る舞われる食事は坂井さん持ち。「大変だけど、先代である義父が大将だった時には300人ほどの信者がいて、もっと大変だったと思う。人に尽くせば神様が私を守ってくださると思うから『損な役回りだな』という発想はないなぁ」と微笑む。信者が亡くなった時には弔いに向かい、2時間かけて祈りを捧げるという。貴重な話を聞かせていただけたことがただただありがたかった。
奈留港から再び別の海上タクシーに乗って、久賀島の五輪港に渡る。久賀島は「五島崩れ」の発端となった島(「崩れ」は潜伏キリシタンの摘発と処刑を指す)。五島列島の中でも特に苛烈な拷問を受けた島だ。「牢屋の窄」がその代表ともいえる弾圧で、わずか12畳ほどの空間に200人ほどの信者たちが8ヶ月間監禁され、42人が殉教。ここに建つ「旧五輪教会」はその時生き残った信者たちが建立した教会なのだという。
旧五輪教会は1881年に浜脇に建てられたものを1931年現在地に移築した。船大工がつくった旧五輪教会。天井は船の舳先を作る技術を生かしたのだといわれる。
その後、牢屋の窄殉教記念教会堂へ。「牢屋の窄」の跡地に建てられた聖堂で、内部には約200人の信徒が押し込められたという12畳分が絨毯で色分けされている。一見するとただの空っぽのスペース。だが、そこに秘められたあまりにも壮絶な苦しみを想像すると言葉を失ってしまう。最後に浜脇教会を回って福江港へ到着し、このツアーは終了となる。
五島列島の養殖マグロを使った漬け丼は、店主が「漁師飯をアレンジして考案した」という甘めのオリジナルのタレが絶妙。うどんまで付いてボリューム満点なのにペロリと食べられてしまう。
五島の海と山の景色を大迫力で味わうリゾートホテル「五島リトリートray by温故知新」は圧倒的な海景と五島のシンボル「鬼岳」の両方の景色が味わえる稀有なリゾートホテルだ。26あるどの客室からも海が臨める。食事は驚くほど新鮮な五島の魚介を中心に、創造性にあふれた和食を。忘れられない旅を提案してくれることは間違いない。
最後に五島ならではのグルメスポットと、話題のリゾートホテルを紹介してこの旅を終わりにしたい。
ポイントは3つ。①世界遺産の集落・教会を巡る②個人では考えられない料金&コース設定。➂地元を熟知した観光ガイドがご案内。九州の最西端の島々を巡る旅行プランである。
2018年、世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」。「五島列島キリシタン物語」は、この世界文化遺産の12の構成資産のうち4つの集落を巡るツアーだ。このツアーに参加した前編では、禁教の時代、様々な工夫と営みの中で信仰を守り抜いた上五島の潜伏キリシタンの集落や、小値賀諸島に残る独特な景観の面白さを紹介した。後編では下五島を回り、彼らの信仰心の一端に触れたい。
最終日は上五島の中ノ浦教会、桐教会からスタートし、下五島へと渡るスケジュール。
桐教会は入り江を見下ろす高台に位置する、美しい白亜の教会だ。かつてこの地に住んでいたガスパル与作が治療のために長崎を訪れた際、大浦天主堂でプチジャン神父と会い、五島のキリシタンたちをカトリック復活へと導いたとされている。
深浦港で車から海上タクシーに乗り換え、キリシタン洞窟へ向かう。海上タクシーの道中ではリアス式海岸の厳しい岩場が続いていた。「この辺りにも潜伏キリシタンの集落があったんですよ。ほら、ここもそう」ガイドの方が指差す先もまた、ゴツゴツした岩の多い入り江で、こんなところに生活空間が築けるとはとても想像できなかった。
海上タクシーの中でかくれキリシタンと出会う。海上タクシー「祥福丸」が奈留港(五島市)まで行く途中で、船頭の坂井好弘さんが不意に「私は370年間信仰を守るかくれキリシタンの大将(神父)なのです」と話し出して仰天した。なんでも、桐古里地区に今も40人ほどいる信者たちの9代目の大将で、クリスマスや復活祭など儀式がある時には自宅に信者を招き、皆で祈りを捧げるのだとか。その時に振る舞われる食事は坂井さん持ち。「大変だけど、先代である義父が大将だった時には300人ほどの信者がいて、もっと大変だったと思う。人に尽くせば神様が私を守ってくださると思うから『損な役回りだな』という発想はないなぁ」と微笑む。信者が亡くなった時には弔いに向かい、2時間かけて祈りを捧げるという。貴重な話を聞かせていただけたことがただただありがたかった。
奈留港から再び別の海上タクシーに乗って、久賀島の五輪港に渡る。久賀島は「五島崩れ」の発端となった島(「崩れ」は潜伏キリシタンの摘発と処刑を指す)。五島列島の中でも特に苛烈な拷問を受けた島だ。「牢屋の窄」がその代表ともいえる弾圧で、わずか12畳ほどの空間に200人ほどの信者たちが8ヶ月間監禁され、42人が殉教。ここに建つ「旧五輪教会」はその時生き残った信者たちが建立した教会なのだという。
旧五輪教会は1881年に浜脇に建てられたものを1931年現在地に移築した。船大工がつくった旧五輪教会。天井は船の舳先を作る技術を生かしたのだといわれる。
その後、牢屋の窄殉教記念教会堂へ。「牢屋の窄」の跡地に建てられた聖堂で、内部には約200人の信徒が押し込められたという12畳分が絨毯で色分けされている。一見するとただの空っぽのスペース。だが、そこに秘められたあまりにも壮絶な苦しみを想像すると言葉を失ってしまう。最後に浜脇教会を回って福江港へ到着し、このツアーは終了となる。
五島列島の養殖マグロを使った漬け丼は、店主が「漁師飯をアレンジして考案した」という甘めのオリジナルのタレが絶妙。うどんまで付いてボリューム満点なのにペロリと食べられてしまう。
五島の海と山の景色を大迫力で味わうリゾートホテル「五島リトリートray by温故知新」は圧倒的な海景と五島のシンボル「鬼岳」の両方の景色が味わえる稀有なリゾートホテルだ。26あるどの客室からも海が臨める。食事は驚くほど新鮮な五島の魚介を中心に、創造性にあふれた和食を。忘れられない旅を提案してくれることは間違いない。
最後に五島ならではのグルメスポットと、話題のリゾートホテルを紹介してこの旅を終わりにしたい。