水泳が中心だった中学生時代を過ぎ、串田志都子先生が指導する私立の中高一貫校に転校した。中学3年生のとき、この学校を去った先生がいなくなってしまったため、再び地元の四谷第一中学校に移った。この時は、教科書を開くと勉強にはついていけなかった。数学のテストでは100点満点で16点だったこともあった。
水泳は別のスイミングクラブで続けていましたが、串田先生の教えの通りに夢中で泳いでいた自分には、指導者が変わると変化が大きすぎて泳ぎ自体が崩れ、挫折を味わった。高校時代の思い出としては、エルビス・プレスリーのライブを収録した「エルビス・オン・ステージ」という映画が渋谷で公開されていて、午後の授業をサボってこの映画を計30回くらい見ていた。
音楽で言うと、ロックのブルース・スプリングスティーンは40年のファン歴で、この2年は海外でのライブに参加できました。「推し」は藤井風くん。コンサートは抽選ですが5回参加できました。「できすぎた孫」枠です(笑)。
高校3年生となり、進路を考える時期に、前回、中学生時代に迷い込んできた犬を動物病院に連れて行ったとき、獣医師に関心を持つようになったと話してもらった。好きで得意なのは水泳と動物だった。将来はスポーツインストラクターか獣医師、と考えていました。そこで「スポーツができる獣医師」にはなれても、「獣医師のできるスポーツインストラクター」にはなれないと思い、獣医師を目指すことにしたのです。しかしここで、大きな問題が立ちふさがります。数学というのは一度できなくなると取り戻せません。「理系は無理だ」とはっきりしています。そこで数学を避けて受験できる獣医学部を探しました。
当時、国語、英語、生物だけで受験できたのが、東京都武蔵野市にある日本獣医畜産大学(現・日本獣医生命科学大学)です。ここだけに望みをかけて受験しました。1次試験は見事に不合格。それでも2次試験に補欠合格し、なんとか入学することができました。
大学入学後、新入生を勧誘するために馬術部が連れてきた馬に一目ぼれし…馬はなんといとも優しい目がいいですね。即、入部を決めました。私を含めて3人の女子が入部希望で、先輩から「なんだ、女か」とがっかりされたのを覚えています。「女子のいいところを生かしてやろうじゃないか」なんて意気込んで入部しました。そして授業そっちのけで、馬中心の大学生活が始まったのです。
毎朝4時半起床。自宅の最寄り駅である四ツ谷駅から始発の中央線に乗り、6時から大学の馬場で練習します。早朝練習が終わると学内で朝食のパンを食べ、9時から1限目、2限目…。授業が終わると厩舎(きゅうしゃ)に戻ってまた馬の世話。当然、授業は一番後ろの席で熟睡です。優しい友人にノートを写させてもらい、試験を乗り切っていました。
1年生の春休み明け、〝事件〟が起きる。いつものように部活動に行ったところ、先輩から「早く主将のところに謝りに行け!」と言われました。いきなりの言葉に驚いてすぐに主将の前に出ると、「退部を認める!」と申し渡されたのです。(聞き手 金谷かおり)
水泳は別のスイミングクラブで続けていましたが、串田先生の教えの通りに夢中で泳いでいた自分には、指導者が変わると変化が大きすぎて泳ぎ自体が崩れ、挫折を味わった。高校時代の思い出としては、エルビス・プレスリーのライブを収録した「エルビス・オン・ステージ」という映画が渋谷で公開されていて、午後の授業をサボってこの映画を計30回くらい見ていた。
音楽で言うと、ロックのブルース・スプリングスティーンは40年のファン歴で、この2年は海外でのライブに参加できました。「推し」は藤井風くん。コンサートは抽選ですが5回参加できました。「できすぎた孫」枠です(笑)。
高校3年生となり、進路を考える時期に、前回、中学生時代に迷い込んできた犬を動物病院に連れて行ったとき、獣医師に関心を持つようになったと話してもらった。好きで得意なのは水泳と動物だった。将来はスポーツインストラクターか獣医師、と考えていました。そこで「スポーツができる獣医師」にはなれても、「獣医師のできるスポーツインストラクター」にはなれないと思い、獣医師を目指すことにしたのです。しかしここで、大きな問題が立ちふさがります。数学というのは一度できなくなると取り戻せません。「理系は無理だ」とはっきりしています。そこで数学を避けて受験できる獣医学部を探しました。
当時、国語、英語、生物だけで受験できたのが、東京都武蔵野市にある日本獣医畜産大学(現・日本獣医生命科学大学)です。ここだけに望みをかけて受験しました。1次試験は見事に不合格。それでも2次試験に補欠合格し、なんとか入学することができました。
大学入学後、新入生を勧誘するために馬術部が連れてきた馬に一目ぼれし…馬はなんといとも優しい目がいいですね。即、入部を決めました。私を含めて3人の女子が入部希望で、先輩から「なんだ、女か」とがっかりされたのを覚えています。「女子のいいところを生かしてやろうじゃないか」なんて意気込んで入部しました。そして授業そっちのけで、馬中心の大学生活が始まったのです。
毎朝4時半起床。自宅の最寄り駅である四ツ谷駅から始発の中央線に乗り、6時から大学の馬場で練習します。早朝練習が終わると学内で朝食のパンを食べ、9時から1限目、2限目…。授業が終わると厩舎(きゅうしゃ)に戻ってまた馬の世話。当然、授業は一番後ろの席で熟睡です。優しい友人にノートを写させてもらい、試験を乗り切っていました。
1年生の春休み明け、〝事件〟が起きる。いつものように部活動に行ったところ、先輩から「早く主将のところに謝りに行け!」と言われました。いきなりの言葉に驚いてすぐに主将の前に出ると、「退部を認める!」と申し渡されたのです。(聞き手 金谷かおり)