新潟県長岡市生まれの鈴木祥大(すずき・しょうた)、帝京長岡の主将である。彼は、祖父が中越を指揮して7度甲子園に導き、父が公立2校で甲子園に出場に導いた彼らの「親子3代」が甲子園出場への期待が高まっている。
鈴木祥大は、小学3年から野球を始めて、東北中を経て帝京長岡に入学する。1年秋からベンチ入りとなり、50メートル走6秒3、遠投90メートルを記録している。身長172センチ、体重66キロ。好きな言葉は「時代は新潟」。右投げ右打ち。
鈴木祥大は、「おじいちゃんとお父さんは選手としてではなく監督として出た。自分は選手として出られるチャンスがあるので、本当にうれしいです」と実感を込めた。
彼の祖父春祥さんは38年間にわたり中越を指揮し、夏の甲子園に計7度導いた。6度目の挑戦となった94年夏に坂出商(香川)に2-1で競り勝ち、監督就任30年目にして甲子園初白星。
父の春樹さん(54)は柏崎時代に21世紀枠代表で03年春、さらに新潟県央工時代の08年夏に甲子園で指揮した。昨年まで新潟県高野連の専務理事の立場から距離を置いてきたが、大役から降りた後は息子の活躍を温かく見守る父親の姿に戻った。
鈴木祥大は、レギュラーの大半が1年生という若い布陣で堅い守備から流れを作り、少ないチャンスを物にする展開を好む。フォア・ザ・チームを貫き、「若いチームなので下級生がやりやすいようにするのが私の仕事」とグラウンド内外に目を配る。
県勢では日本文理の09年夏準優勝が最高成績。いまだ頂点に立ってない。「新潟の歴史を塗り替えたい」と息巻く。雪国に一足早い春の訪れを告げる吉報は、もう間もなくだ。
鈴木祥大と彼の家族は、甲子園で戦った経験を伝えたいと考えている。また、「自分の道は自分で作りたい」と迷いはなかった。昨秋の新潟大会は準決勝で日本文理に7回コールド負けしたが、新潟3位で臨んだ北信越大会の決勝では日本文理にリベンジ。3試合全て1点差ゲームを制し、北陸王者に輝いた。
鈴木祥大は、小学3年から野球を始めて、東北中を経て帝京長岡に入学する。1年秋からベンチ入りとなり、50メートル走6秒3、遠投90メートルを記録している。身長172センチ、体重66キロ。好きな言葉は「時代は新潟」。右投げ右打ち。
鈴木祥大は、「おじいちゃんとお父さんは選手としてではなく監督として出た。自分は選手として出られるチャンスがあるので、本当にうれしいです」と実感を込めた。
彼の祖父春祥さんは38年間にわたり中越を指揮し、夏の甲子園に計7度導いた。6度目の挑戦となった94年夏に坂出商(香川)に2-1で競り勝ち、監督就任30年目にして甲子園初白星。
父の春樹さん(54)は柏崎時代に21世紀枠代表で03年春、さらに新潟県央工時代の08年夏に甲子園で指揮した。昨年まで新潟県高野連の専務理事の立場から距離を置いてきたが、大役から降りた後は息子の活躍を温かく見守る父親の姿に戻った。
鈴木祥大は、レギュラーの大半が1年生という若い布陣で堅い守備から流れを作り、少ないチャンスを物にする展開を好む。フォア・ザ・チームを貫き、「若いチームなので下級生がやりやすいようにするのが私の仕事」とグラウンド内外に目を配る。
県勢では日本文理の09年夏準優勝が最高成績。いまだ頂点に立ってない。「新潟の歴史を塗り替えたい」と息巻く。雪国に一足早い春の訪れを告げる吉報は、もう間もなくだ。
鈴木祥大と彼の家族は、甲子園で戦った経験を伝えたいと考えている。また、「自分の道は自分で作りたい」と迷いはなかった。昨秋の新潟大会は準決勝で日本文理に7回コールド負けしたが、新潟3位で臨んだ北信越大会の決勝では日本文理にリベンジ。3試合全て1点差ゲームを制し、北陸王者に輝いた。