大阪地裁が9月に判決した「おかんは産むだけ」押しつけされた育児 8人家族のうち父親を除く成人3人に知的障害があり、カオス状態だった家の中で日常的に育児や家事が長女に押しつけされていた。
1995年生まれた女性「ゆり」は、得意先の会社の社員の父親と知り合い結婚した母親と結婚し、次男が生まれ、長男が続けて生まれた。母親の育児能力の問題もあって、ゆりと長男は児童養護施設に数年間保護されたようだ。
「触るな」「きしょいんじゃ」「しばくぞ」の3語以外の言葉を発しなかったらしい。職員は「家庭内で言われた言葉をしゃべっている」と感想を抱いた。職員らとの関わりの中で少しずつ言葉遣いを覚え、甘えるようなしぐさも増えていった。
その後、復縁し、2人の子供も家庭に戻った。ゆりは中学校に進み、普通学級と特別支援学級の両方に籍を置いた。一家の生計を支えたのは、トラック運転手だった父親の給与と3人の障害年金だった。
マンション住まいから近くの土地を購入し、3階建ての一軒家を新築し移り住む。2015年のことだ。
そのころ次女「雷斗ちゃん」と双子の次男、四男の4人が、3~4年の間に立て続けに生まれた。ゆりが双子の誕生を境に育児や家事を担うようになり、「おかんは産むだけ。全部ゆりに任せる」と不満を募らせていった。
「めしつかいやロボットあつかいみたいに、次々にさしずしてくる」「おかんはゆりに休む時間をいつもくれなかった」。やり方を変えようと考えていたが、「その世話をする人がいるから、もういい」と考え、家の中で自分だけを育てようとした。
その後、雷斗ちゃんへの謝罪に続き、一軒家に引っ越した当時を振り返る。「最初のころは、みんな自由に色々な部屋を見にいったりして、はしゃいでいたね。『ここでご飯食べるんやで』とか言ったり。クローゼットもいっぱいあるってよろこんだり」。赤ちゃんだった雷斗-chanは「あまりにも(双子の)顔そっくりで、手の動かしかたも一緒でめっちゃかわいかった。おかんでも(どっちが兄で弟か)区別つかなかったのに自分だけ区別できてうれしかった」と記した。
だがすぐに暗転する。「ゆりにとっては(新居での生活は)つらくてしんどくてイヤな思い出なの。一軒家にひっこししてからこんな苦しい思いをするなんて全く思していなかった」。ゆりが部屋の状態を説明しているのは、自分で行ったものであった。
その部屋にはエアコンが付いていなかった。夏場は地獄で、夜は眠れない。朝起きて夜寝るまで、ほとんどの家事や育児を彼女がしていた。その中でも食べ物を取り扱う仕事も苦手だったといい、母親が手伝ってくれなかった。
着替えさせ、ミルクを温め、だっこしてあやし、オムツを替えた。その合間に洗濯や炊事。母親は「ふろためて、こいつら入れて」とか「こいつら調子乗ってるで。言うこと聞かんからしばいたれ」とか指示するだけ。ゆりが話す言葉遣いも大変だった。
そして子供たちは部屋から出ないよう監視役もさせられた。毎日買い物に行くスーパーやコンビニでの引率も、ゆりが担う役割。雷斗-chanと双子の兄がうろうろしないように左右で手をつなぎ、右手にはさらに1歳下の末弟の手もつなぎ留めて歩かなくてはいけなかった。
掃除は苦手だったといい、一家の中は散らかり放題で、台所も物が積まれていた。近所の人によると、一家にはピザや店屋物の配達がよく来ていた。母親は子供らに頻繁にジュースを買い与えた。歯磨きの習慣もなく、事件後に保護された子らの歯はぼろぼろ。
母親は「ふろためて、こいつら入れて」とか「こitsu-ra調子乗ってるで。言うこと聞かんからしばいたれ」とか指示するだけ。ゆりが母親に言い出されない状況も多くあった。
家では犬や猫、フェレットなどの動物をたくさん飼っていた。母親がペットショップで買ってきては途中で飼育放棄し、死なせていた。その数は12~13匹。一家の中での役割をゆりだけにしみっこらせて、「くさい」「ほめてうるさい」と言って遠ざける。散歩もさせずケージに入れっぱなし、冬場でもベランダに出しっぱなし。家の中で捨てられた犬たちを、ゆりがこっそり世話していた。
母親は「夫と相談して決めた。監禁しないと外でむちゃくちゃする」と話した。ただ、食事は毎日与えられており、外に出られる時間もあったようだ。
この家で起こった事件が起きるまで、行政や警察は手をこまねいしていた。
1995年生まれた女性「ゆり」は、得意先の会社の社員の父親と知り合い結婚した母親と結婚し、次男が生まれ、長男が続けて生まれた。母親の育児能力の問題もあって、ゆりと長男は児童養護施設に数年間保護されたようだ。
「触るな」「きしょいんじゃ」「しばくぞ」の3語以外の言葉を発しなかったらしい。職員は「家庭内で言われた言葉をしゃべっている」と感想を抱いた。職員らとの関わりの中で少しずつ言葉遣いを覚え、甘えるようなしぐさも増えていった。
その後、復縁し、2人の子供も家庭に戻った。ゆりは中学校に進み、普通学級と特別支援学級の両方に籍を置いた。一家の生計を支えたのは、トラック運転手だった父親の給与と3人の障害年金だった。
マンション住まいから近くの土地を購入し、3階建ての一軒家を新築し移り住む。2015年のことだ。
そのころ次女「雷斗ちゃん」と双子の次男、四男の4人が、3~4年の間に立て続けに生まれた。ゆりが双子の誕生を境に育児や家事を担うようになり、「おかんは産むだけ。全部ゆりに任せる」と不満を募らせていった。
「めしつかいやロボットあつかいみたいに、次々にさしずしてくる」「おかんはゆりに休む時間をいつもくれなかった」。やり方を変えようと考えていたが、「その世話をする人がいるから、もういい」と考え、家の中で自分だけを育てようとした。
その後、雷斗ちゃんへの謝罪に続き、一軒家に引っ越した当時を振り返る。「最初のころは、みんな自由に色々な部屋を見にいったりして、はしゃいでいたね。『ここでご飯食べるんやで』とか言ったり。クローゼットもいっぱいあるってよろこんだり」。赤ちゃんだった雷斗-chanは「あまりにも(双子の)顔そっくりで、手の動かしかたも一緒でめっちゃかわいかった。おかんでも(どっちが兄で弟か)区別つかなかったのに自分だけ区別できてうれしかった」と記した。
だがすぐに暗転する。「ゆりにとっては(新居での生活は)つらくてしんどくてイヤな思い出なの。一軒家にひっこししてからこんな苦しい思いをするなんて全く思していなかった」。ゆりが部屋の状態を説明しているのは、自分で行ったものであった。
その部屋にはエアコンが付いていなかった。夏場は地獄で、夜は眠れない。朝起きて夜寝るまで、ほとんどの家事や育児を彼女がしていた。その中でも食べ物を取り扱う仕事も苦手だったといい、母親が手伝ってくれなかった。
着替えさせ、ミルクを温め、だっこしてあやし、オムツを替えた。その合間に洗濯や炊事。母親は「ふろためて、こいつら入れて」とか「こいつら調子乗ってるで。言うこと聞かんからしばいたれ」とか指示するだけ。ゆりが話す言葉遣いも大変だった。
そして子供たちは部屋から出ないよう監視役もさせられた。毎日買い物に行くスーパーやコンビニでの引率も、ゆりが担う役割。雷斗-chanと双子の兄がうろうろしないように左右で手をつなぎ、右手にはさらに1歳下の末弟の手もつなぎ留めて歩かなくてはいけなかった。
掃除は苦手だったといい、一家の中は散らかり放題で、台所も物が積まれていた。近所の人によると、一家にはピザや店屋物の配達がよく来ていた。母親は子供らに頻繁にジュースを買い与えた。歯磨きの習慣もなく、事件後に保護された子らの歯はぼろぼろ。
母親は「ふろためて、こいつら入れて」とか「こitsu-ra調子乗ってるで。言うこと聞かんからしばいたれ」とか指示するだけ。ゆりが母親に言い出されない状況も多くあった。
家では犬や猫、フェレットなどの動物をたくさん飼っていた。母親がペットショップで買ってきては途中で飼育放棄し、死なせていた。その数は12~13匹。一家の中での役割をゆりだけにしみっこらせて、「くさい」「ほめてうるさい」と言って遠ざける。散歩もさせずケージに入れっぱなし、冬場でもベランダに出しっぱなし。家の中で捨てられた犬たちを、ゆりがこっそり世話していた。
母親は「夫と相談して決めた。監禁しないと外でむちゃくちゃする」と話した。ただ、食事は毎日与えられており、外に出られる時間もあったようだ。
この家で起こった事件が起きるまで、行政や警察は手をこまねいしていた。