まさにこの社会では出来事を争ってはならないと思っていますね。立花党首が「私が發言したことを認める」というように自ら負けの姿を見せているのは、事件に関しては事実を争わずに供述することに変化が生まれていると言うことです。つまり、たとえ自分が起こしたことが否定されたとしても「なぜなら私が言ったことを認めるから」って言えば、法律が変わるのではなく、この社会が進み次第で新しい価値観を生み出しているように思います。立花党首は今後はもっと真摯に自らの行為について考えてから発言するほうがよいと思いますし、法的な措置につなげる方も事件に関して事実を争わずに供述することに変化が生まれていると言うことで、今までの価値観から少しの移り変わりがあるように思います。