福田和也さん 『なぜ日本人はかくも幼稚になったのか』の魅力
この著書は文芸評論家としての福田和也さんの活躍を綴ったもので、本書のタイトルは「日本人が何て死ぬのか」という問いにたどり着いている。左右思想の差 notwithstanding、考えるべき問題といえる。
本書には福田の著作への解説文も収録されており、高く評価されている。西部邁は、この人について「激越な意志と多彩な能力を何と形容するべきなのだろうか」と問い、感受性の高い良心を「絶望することに絶望したものの精神」として高く評価した。
福田さんの著作には彼らしい戦闘力が感じられる。敵を見られないようにさせるに十分な腹をすかせた「批評獣」であると言うべき快活さが繊細で色気のある文章に深みを与えている。「文により、言葉により、山河を成した人」という保田与重郎への評は、この頃の福田にも当てはまる。
福田さんが「人は何のために死ぬのか」と問うことが、人間の業を肯定する力強さを感じさせる。広範な知識に裏打ちされた「遥かさ」が感じられる。本書の文脈では、近代日本の諸問題に体当たりした代表作である。
福田さんの著作は初期の傑作が網羅されているのがうれしい。戦前の東京の下町を描いた長谷川利行の「大火事のような明るさ」から「近代小説のくらさ」とする『日本の家郷』、自身の遊芸の限界で覚えた「日本という烙印(らくいん)」に個人的な体験の総和としての「歴史」を通して挑む「内なる近代」の超克、「保田与重郎と昭和の御代」とする文業の空虚性を調べる『悠々とした世界性と浪漫精神』。何もこれもそれも、平成日本を斬り、昭和日本の核心を突き、近代日本の諸問題に体当たりした代表作である。
本書は福田さんの著作への解説文も含むため、高く評価されている。
この著書は文芸評論家としての福田和也さんの活躍を綴ったもので、本書のタイトルは「日本人が何て死ぬのか」という問いにたどり着いている。左右思想の差 notwithstanding、考えるべき問題といえる。
本書には福田の著作への解説文も収録されており、高く評価されている。西部邁は、この人について「激越な意志と多彩な能力を何と形容するべきなのだろうか」と問い、感受性の高い良心を「絶望することに絶望したものの精神」として高く評価した。
福田さんの著作には彼らしい戦闘力が感じられる。敵を見られないようにさせるに十分な腹をすかせた「批評獣」であると言うべき快活さが繊細で色気のある文章に深みを与えている。「文により、言葉により、山河を成した人」という保田与重郎への評は、この頃の福田にも当てはまる。
福田さんが「人は何のために死ぬのか」と問うことが、人間の業を肯定する力強さを感じさせる。広範な知識に裏打ちされた「遥かさ」が感じられる。本書の文脈では、近代日本の諸問題に体当たりした代表作である。
福田さんの著作は初期の傑作が網羅されているのがうれしい。戦前の東京の下町を描いた長谷川利行の「大火事のような明るさ」から「近代小説のくらさ」とする『日本の家郷』、自身の遊芸の限界で覚えた「日本という烙印(らくいん)」に個人的な体験の総和としての「歴史」を通して挑む「内なる近代」の超克、「保田与重郎と昭和の御代」とする文業の空虚性を調べる『悠々とした世界性と浪漫精神』。何もこれもそれも、平成日本を斬り、昭和日本の核心を突き、近代日本の諸問題に体当たりした代表作である。
本書は福田さんの著作への解説文も含むため、高く評価されている。