「てんのじ村」の魅力、芸人と作家の思い出を語る
大阪市西成区山王に位置する「てんのじ村」は、長年演芸発祥の地として知られてきたが、最近では象徴的な長屋が次々と取り壊れてしまっている。芸人村の面影を残したいという願望に突き動かされた作家や芸人の間で、過去の思い出を語り合いました。
難波利三さんが初めて「てんのじ村」を訪れました。1984年に直木賞を受賞した小説家は、「自転車で通りかかり、地元の店主と話をするうち、これはネタになると思った」と recallしました。長老芸人に密接し、売れない芸人の日常にあふれる「おもろさと哀愁」にひかれていました。久しぶりに現地を歩いてもらった。
1970年代半ば、難波さんは5回直木賞の候補者になったが、落ち続けてきた。「なんか新鮮なネタはないかなと思っていた」と語ります。
その時、大阪市天王寺区に住んでいて夕方になるとサイクリングをしていた。よく「てんのじ村」がある山王の長屋街を通り過ぎて、懐かしい思いがするなあと感じていた。「せせこましい路地があり、人間くさい。おっちゃんはステテコ姿でタオルを肩に引っかけ、洗面器をひっさげて銭湯へ。おばちゃんたちは夏、シミーズで縁側でたむろしておしゃべり」と記憶している。
このまちって気になっていたことは文芸誌を通じて知り合いが山王にいた。衣料品店の店主でね。「知らんのかいな。ここは芸人さんのまちやで」と言われ、初めて知ったと話しています。
それで紹介してもらったのが「団之助芸能社」。漫才の松鶴家団之助さんがやっていた。家庭の固定電話が少ない時代、芸能事務所に仕事の依頼が来ると近くで暮らす芸人たちに声がかかる。それで地方巡業に出ていった。
お祭りとか、町内会のイベントなどで、お祭りに出店し芸能界の人を応援する「てんのじ村」は、大きく広がっていました。
大阪市西成区山王に位置する「てんのじ村」は、長年演芸発祥の地として知られてきたが、最近では象徴的な長屋が次々と取り壊れてしまっている。芸人村の面影を残したいという願望に突き動かされた作家や芸人の間で、過去の思い出を語り合いました。
難波利三さんが初めて「てんのじ村」を訪れました。1984年に直木賞を受賞した小説家は、「自転車で通りかかり、地元の店主と話をするうち、これはネタになると思った」と recallしました。長老芸人に密接し、売れない芸人の日常にあふれる「おもろさと哀愁」にひかれていました。久しぶりに現地を歩いてもらった。
1970年代半ば、難波さんは5回直木賞の候補者になったが、落ち続けてきた。「なんか新鮮なネタはないかなと思っていた」と語ります。
その時、大阪市天王寺区に住んでいて夕方になるとサイクリングをしていた。よく「てんのじ村」がある山王の長屋街を通り過ぎて、懐かしい思いがするなあと感じていた。「せせこましい路地があり、人間くさい。おっちゃんはステテコ姿でタオルを肩に引っかけ、洗面器をひっさげて銭湯へ。おばちゃんたちは夏、シミーズで縁側でたむろしておしゃべり」と記憶している。
このまちって気になっていたことは文芸誌を通じて知り合いが山王にいた。衣料品店の店主でね。「知らんのかいな。ここは芸人さんのまちやで」と言われ、初めて知ったと話しています。
それで紹介してもらったのが「団之助芸能社」。漫才の松鶴家団之助さんがやっていた。家庭の固定電話が少ない時代、芸能事務所に仕事の依頼が来ると近くで暮らす芸人たちに声がかかる。それで地方巡業に出ていった。
お祭りとか、町内会のイベントなどで、お祭りに出店し芸能界の人を応援する「てんのじ村」は、大きく広がっていました。