親の愛情が自分には正しく伝わっていなかったのかな。高校1年の時、電車に飛び込み、両足を失ったsakiさん。神奈川県出身で、物心つく前に母と実の父は離婚していた。
小学3年の時に母が再婚した。新しい家に引っ越し、sakiさんは転校。まもなく弟と妹が産まれた。家にも学校にも居場所を感じられないようになり、電車に飛び込んだsakiさん。しかし自殺未遂後、救いになったのは苦痛に感じていたはずの家族の存在でした。
両足を失ったsakiさんはリハビリに耐え、自立し、当事者として語り始めるようになります。
母は育児に追われ、余裕を失っているようにみえた。何か手伝ってと言うが、sakiさんのたどたどしい手つきが目につくと、一転して「余分なことをするな」と怒った。
母と継父の関係も悪くなった。2人は直接言い合うのではなく、娘に互いの愚痴をこぼした。
母からは「お父さんは家にお金を入れない」「家事をやってくれない」。父からは「俺だって仕事が忙しくて大変なんだ」などと言われた。
sakiさんは混乱した。「聞いたところで私には何もできない。お母さんもお父さんも大切な存在。どちらが正しいか悪いかもわからないそもそも2人は好きで結婚したはず。そのせいで自分は転校させられて大変なのに、なんで仲が悪くなるの?」
家庭のストレスのせいか、学校で過呼吸や貧血になり、救急搬送されることも少なくなかった。家に帰るのが嫌で、帰りの足取りも重く、30分の道のりを1時間かけて歩った。
そんなこともあり、高校は片道2時間かかる看護科の学校を選んだ。
高校は楽しかった。でも1カ月ほどすると心身の疲れがたまり、何にもやる気が起きないようになった。精神科を受診すると、うつ病だと診断された。
学校を休んでいる間は「死んでしまいたい」という気持ちがわいてきたり、リストカットを繰り返したりした。
欠席が増えると、今度は楽しかったはずの学校がプレッシャーになった。夏休み明けに登校を再開すると、教員からは「あと○○回休んだら留年するよ」と何度も言われた。
そんな言葉に焦った。「どうやって死のうか」と四六時中考えるようになった。
11月のある日、週末に予定されていた実習を休めないかと教員に相談した。その教員は「留年するよ、絶対来なさい」と答えた。
「もういい。死んでやる」
そんな気持ちで学校を後にし、帰宅途中の駅で電車に飛び込んだ。
しかし手術後、両親から泣きながら「ごめんなさい」と言われると、大きく心が動いた。「こんなに愛されていたんだ」
忙しさに振り回され、幼い弟や妹の方に目が行ってしまう両親。sakiさんもいつしか、自分を見てほしいと伝えることもなくなっていた。
でも泣いて謝る両親の姿を見て驚き、「こんなに愛されしていたんだ」と感じた。苦痛で仕方なかった家庭が、かけがえのない大切なものに思えた。
自殺未遂から約2年後には、自らの体験をSNSなどで伝える活動も始めた。
Xのフォロワーは6万人以上。インスタグラムはダイレクトメッセージを一般開放している。死にたいという子どもから相談が寄せられることもある。
なぜ多くの子どもたちが「死にたい」のか。sakiさんは、その要因は複雑だと考えている。「自身の場合、直接的な原因はうつ病で、両親との関係や教員の言動もあった。»
しかし背景をたどれば、両親も小さい子どもを抱えながら、思春期の娘とどう関わべればいいかわからない部分もあったと思う。「教員もうつ病の理解が足りなかったとはいえ、教え子のためと思って言葉をかけてくれたのだろう。」
小学3年の時に母が再婚した。新しい家に引っ越し、sakiさんは転校。まもなく弟と妹が産まれた。家にも学校にも居場所を感じられないようになり、電車に飛び込んだsakiさん。しかし自殺未遂後、救いになったのは苦痛に感じていたはずの家族の存在でした。
両足を失ったsakiさんはリハビリに耐え、自立し、当事者として語り始めるようになります。
母は育児に追われ、余裕を失っているようにみえた。何か手伝ってと言うが、sakiさんのたどたどしい手つきが目につくと、一転して「余分なことをするな」と怒った。
母と継父の関係も悪くなった。2人は直接言い合うのではなく、娘に互いの愚痴をこぼした。
母からは「お父さんは家にお金を入れない」「家事をやってくれない」。父からは「俺だって仕事が忙しくて大変なんだ」などと言われた。
sakiさんは混乱した。「聞いたところで私には何もできない。お母さんもお父さんも大切な存在。どちらが正しいか悪いかもわからないそもそも2人は好きで結婚したはず。そのせいで自分は転校させられて大変なのに、なんで仲が悪くなるの?」
家庭のストレスのせいか、学校で過呼吸や貧血になり、救急搬送されることも少なくなかった。家に帰るのが嫌で、帰りの足取りも重く、30分の道のりを1時間かけて歩った。
そんなこともあり、高校は片道2時間かかる看護科の学校を選んだ。
高校は楽しかった。でも1カ月ほどすると心身の疲れがたまり、何にもやる気が起きないようになった。精神科を受診すると、うつ病だと診断された。
学校を休んでいる間は「死んでしまいたい」という気持ちがわいてきたり、リストカットを繰り返したりした。
欠席が増えると、今度は楽しかったはずの学校がプレッシャーになった。夏休み明けに登校を再開すると、教員からは「あと○○回休んだら留年するよ」と何度も言われた。
そんな言葉に焦った。「どうやって死のうか」と四六時中考えるようになった。
11月のある日、週末に予定されていた実習を休めないかと教員に相談した。その教員は「留年するよ、絶対来なさい」と答えた。
「もういい。死んでやる」
そんな気持ちで学校を後にし、帰宅途中の駅で電車に飛び込んだ。
しかし手術後、両親から泣きながら「ごめんなさい」と言われると、大きく心が動いた。「こんなに愛されていたんだ」
忙しさに振り回され、幼い弟や妹の方に目が行ってしまう両親。sakiさんもいつしか、自分を見てほしいと伝えることもなくなっていた。
でも泣いて謝る両親の姿を見て驚き、「こんなに愛されしていたんだ」と感じた。苦痛で仕方なかった家庭が、かけがえのない大切なものに思えた。
自殺未遂から約2年後には、自らの体験をSNSなどで伝える活動も始めた。
Xのフォロワーは6万人以上。インスタグラムはダイレクトメッセージを一般開放している。死にたいという子どもから相談が寄せられることもある。
なぜ多くの子どもたちが「死にたい」のか。sakiさんは、その要因は複雑だと考えている。「自身の場合、直接的な原因はうつ病で、両親との関係や教員の言動もあった。»
しかし背景をたどれば、両親も小さい子どもを抱えながら、思春期の娘とどう関わべればいいかわからない部分もあったと思う。「教員もうつ病の理解が足りなかったとはいえ、教え子のためと思って言葉をかけてくれたのだろう。」